2023年3月30日(木)
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聖書一日一章 出エジプト記 32章
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主は、その民に下すと言ったわざわいを思い直された。(14節)
モーセがシナイ山の山頂に40日40夜いた間に、ふもとでは人々が、モーセがいっこうに下りてこないので、不安に駆られ、モーセの兄アロンに、自分たちを導く神を造ってくれと詰め寄り、金で子牛の像を鋳造させ、拝みました。モーセは神から、民が堕落してしまったので山を下りるように言われ、下りると、人々が子牛の像の前で踊っているので、怒り、手に持っていた、神が刻まれた十戒の石の板を砕き、また、子牛の像を粉々に砕きました。
さて、モーセは、神がふもとで人々が子牛の像を拝んでいることを知らせ、彼らを絶ち滅ぼせと言われたとき、即座に神の怒りをなだめようとして言いました。「主よ。あなたが偉大な力をもって、エジプトから導き出されたご自分の民に向かって、どうして御怒りを燃やされるのですか。どうか思い直してください。」14節には、「すると主は、その民に下すと言ったわざわいを思い直された」とあります。神はなんと容易く赦し、絶ち滅ぼすことを思い直されることでしょうか。なんと寛容で情け深いことでしょうか。
しかし、モーセのそれ以後の言動は、そのことと齟齬があるように思えます。31節以下で、人々に、神に赦しを請いに行くので、「もしかすると、あなたがたの罪のために宥めをすることができるかもしれない」と言っています。赦してもらえるかどうかわからないようです。また、神に、「もしあなたが彼らの罪を赦してくださるのなら。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください」と祈っています。とても赦してもらえないようなので、代わりに自分のいのちを差し出しています。その後、山を下り、子牛の像を見て激しく怒り、有志に首謀者3千人を殺させたのも、滅びを何とか防ごうとした結果でしょう。神が思い直されたのに、モーセはなぜこのような行動を取ったのでしょうか。14節の「すると主は、わざわいを思い直された」という言葉は、後にこの書を今の形にまとめた預言者が記したもので、神がそう言われたのではなく、モーセも知らなかったことです。常識的にそんなことがあるはずがありません。しかし、神は、常識よりもはるかに優しく、愛にあふれておられるのです。
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