2023年4月8日(土)
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聖書一日一章 レビ記 1章
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全焼のささげ物の頭に手を置く。(4節)
「全焼のささげ物」についての規定です。ささげ物は、動物を焼いて神にささげるもので、神の怒りをなだめるためや罪の代償のためや感謝を表すためにささげられます。このレビ記では、5種類のささげ物についての規定がありますが、その中で「全焼のささげ物」は、文字通り、動物を全部焼いて神にささげるもので、ほかのものが、一部を焼いて神にささげ、大部分を祭司やささげた人自身が食べるのと、違っているところです。というか、これがささげ物の基本形で、いろいろな儀式のときに、まず「全焼のささげ物」をささげ、その上で、何らかの意味を付け加えるためにほかのものをささげるようなのです。
とはいえ、このようなささげ物は、旧約時代のイスラエルの民に関することで、私たちは動物を焼いてささげたりしませんし、する必要もありません。ささげ物は私たちには預言的な意味だけがあります。つまり、キリストが私たちの罪に対する神の怒りをなだめるためや罪の代償のために、ご自身を身代わりとして十字架で犠牲にされたことです。神のみ子で無限に尊く、少しの罪も汚れもないキリストの犠牲は、神のみ心を完全に満足させるものでした。この受難週にはとくにそのことを覚えます。
そのささげ方で、4節に、「全焼のささげ物の頭に手を置く」とあります。手を置くのは自分の罪をその動物にゆだねるという意味です。私たちも自分の罪をキリストにゆだねなければなりません。私たちはキリストを救い主と信じたときに、一度自分の罪を全部ゆだねました。しかし、私たちは日々罪を犯します。今日も今日の罪をキリストにゆだねましょう。
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