2023年4月9日(日)
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聖書一日一章 レビ記 2章
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穀物のささげ物としてささげなさい。(14節)
神へのささげ物の中でも、「穀物のささげ物」についての規定です。麦などの穀物を、収穫させてくださった神に感謝してささげるものです。収穫については、十分の一を、神に仕えるレビ部族のためにささげる義務がありましたが、同じ穀物でもそれとは別の自発的なささげ物だと思われます。穀物は、粉にしても、焼いてパンにしても、鍋で煮ても、そのままでよく、受け取った祭司が、一部分を祭壇で焼いて神にささげた後、残りは祭司たちが取ることになっていました。
さて、「穀物のささげ物」は、レビ記の5種類のささげ物の中では、唯一動物ではなく、それゆえ、ほふって血を流すことはないので、生き物ではないような感じがしますが、穀物ということは種で、種ということはその中にいのちがあるものです。ですから、それを神にささげるということは、実はいのちをささげているのです。
この箇所から、ヨハネの福音書12章24節のキリストの言葉を思い出しました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」ここでキリストは、人々の罪の贖いのために死のうとしているご自身を、地に蒔かれる麦の一粒にたとえておられます。このたとえでは、麦の一粒は土に隠れてあたかも死んだようになるだけですが、「穀物のささげ物」では、麦の一粒は火で焼かれ、事実死んでしまうので、キリストの意図ともっとよく合うのではないかと思います。つまり、キリストは「穀物のささげ物」の麦の一粒として、ご自身のいのちを神にささげ、死なれました。しかし、神はそのキリストを復活させ、ちょうど麦の一粒が生長して多くの実を結ぶように、復活されたキリストによって、数え切れない人々が永遠のいのちを持つようにされたのです。キリストがいのちを神にささげられたことによって、私たちも永遠のいのちを持つことができたことを覚え、感謝しましょう。
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