2023年4月12日(水)
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聖書一日一章 レビ記 5章
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証言しなければのろわれるという声を聞いた。(1節)
神へのささげ物の中でも、「罪のきよめのささげ物」と「代償のささげ物」についての規定です。「罪のきよめのささげ物」は、知らずに罪を犯してしまった場合に、文字通り、罪のきよめのためにささげるものです。「代償のささげ物」は、知らずに罪を犯してしまった場合にささげることは同じですが、神への賠償の意味でささげるものです。どちらも罪深い人間の身代わりに十字架で死なれたキリストを預言するものですが、それぞれ十字架の別の面を表しているようです。
さて、1節には、「証人であるのに、証言しなければのろわれるという声を聞きながらも、それをしない場合、その人は咎を負わなければならない」とあります。証人は裁判で証言する義務がありますが、それを拒否した場合、咎を負うことになります。「証言しなければのろわれるという声」というのは、心の中の良心の声のことでしょう。証言を拒否した証人の心にはその声が響き、ずきずき痛んでいたことでしょう。そんな人にとって、「罪のきよめのささげ物」をささげることは、深い心の癒しになったに違いありません。
このような良心の声は、良心に反することをした人は、だれでも聞いているのではないでしょうか。パウロはローマ人への手紙2章15節で、異邦人は、「律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示し、彼らの良心も証しています」と言います。神を知らない異邦人の心にも神の律法が記されていて、悪いことをすると、その律法が良心の声となって責めるというのです。どれだけ多くの人がこの声によって、うそをつかずに本当のことを言い、盗むことをやめ、上げた手を下ろし、殺人を思いとどまってきたことでしょうか。この声によって、どれだけ多くの人が自分のした悪を責められ、罰を恐れ、救いを求め、キリストを信じるようになったことでしょうか。私たちもそうです。パウロはガラテヤ人への手紙3章24節で、「律法は私たちをキリストに導く養育係」だと言いますが、この良心の声こそ私たちをキリストに導いた養育係だと思います。
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