2023年4月15日(土)
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聖書一日一章 レビ記 8章
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モーセは主が命じられたとおりにした。(4節)
神を礼拝するための幕屋で大祭司、祭司として仕えるアロンとその息子たちの任職式の様子です。この任職式の手順は出エジプト記29章で詳しく指示されていて、ここではまったくその通り正確に行われています。ただあまりに複雑で読んでもさっぱりわかりませんが、旧約時代だけのもので、私たちには過去のなので、心配いりません。
それにしても、旧約聖書には儀式が多いですが、神はなぜそんなに多くの儀式を命じられたのでしょうか。儀式にはどんな意義があるのか考えてみました。まず、儀式には、神の教えを象徴的に示す意義があるでしょう。また、何世代にもわたって同じ形式を続けることで、神の教えの核心を後の世代に伝えていく意義があるでしょう。また、聖なるもので冒してはならないものがあるということを示す意義があるでしょう。また、共同体の人々が同じ神を信じている仲間であることを確認し実感する意義があるでしょう。
しかし、儀式はあくまで本物を指し示すもので、本物が未来のものであれば、本物が現れるまでの間、予告し、待望するものです。聖書が指し示す本物とは、キリストを通しての神との交わりと言って間違いないでしょう。その本物であるキリストが現れ、信じる者が本物の神との交わりができるようになったのですから、その意義は終わったと言えます。旧約の儀式が今廃止されているのは、そのためです。
しかし、本物が現れた後も、その本物と出会うことができるように指し示すとか、その本物を後世に伝えていくとかいう意味では、今も儀式は必要でしょう。それが洗礼式や聖餐式なのでしょう。また、それは、本物のキリストを信じている人々が同じ信仰の仲間であることを確認し実感するという意味でも大切です。賛美もある意味で儀式ですが、本物のキリストを指し示す、あるいは後世に伝える、あるいは同じ信仰を持つ仲間であることを確認し実感するという意味でも、大きな役割を果たしていると思います。
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