2023年4月16日(日)

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聖書一日一章    レビ記 9章

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火が主の前から出て来て、祭壇の全焼のささげ物を焼き尽くした。 (24節)

前の章は、アロンとその息子たちの大祭司と祭司となる任職式の様子を記していましたが、ここでは、任職されたアロンとその息子たちが初めて司式、つまりいけにえの儀式をする様子を記しています。儀式は複雑で、その細かい点まで記しているので、読むといやになります。

さて、24節には、「火が主の前から出て来て、祭壇の全焼のささげ物を焼き尽くした」とあります。「主の前」つまり神が臨在される、幕屋の至聖所あたりから火が出てきて、外の祭壇にささげられた全焼のささげ物を焼き尽くしたというのです。ということは、任職式でほふってささげた数多くのいけにえや、ここでささげた数頭のいけにえは、まだ焼いていなかったということです。祭壇の上や周りに山積みにしていたのでしょう。火種をどこから取るべきか指示されていなかったからです。しかし、神から出た火が祭壇の上の全焼のささげ物を焼き尽くしたので、その残り火でほかのささげ物も焼いたのでしょう。そして、その火を消さないようにしたのでしょう。

ここで、火が神から出たということに大きな意味があると思います。人間から出たものは、不完全で、誤りと汚れを免れないからです。火自体に違いはなくても、どこから取ってきたかによって、異教的な影を持ちます。偶像の宮で灯されていた火から取った種火は、偶像の影を免れないでしょう。あるいは、ギリシャ神話に基づいて日光で起こしたオリンピックの聖火は、やはりギリシャ神話の影を免れないでしょう。火でもそうですから、精神的なものならなおさらです。神から出たものだけが、神に喜ばれる実を結ぶのです。ヤコブはその手紙の1章17節で言います。「すべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。」同じ手紙の3章17節で言います。「上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。」

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