2023年4月17日(月)

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聖書一日一章    レビ記 10章

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異なる火を主の前に献げた。(1節)

大祭司や祭司として任職されたアロンとその息子たちが、司式を始めたとき、悲惨なことが起こりました。彼らが幕屋の中で香を焚こうとしたとき、どこからか火が出て、2人の息子を焼き尽くしたのです。1節にはその原因として、「異なる火を主の前に献げた」とあります。この「異なる火」とは何でしょうか。16章12節には、「祭壇から炭火を取り、その香をくべる」ようにとの指示があり、「彼が死ぬことがないためである」とあります。つまり、幕屋の前の祭壇では、全焼のささげ物を24時間燃やし続けていましたが、そこから火を取れば、死ぬことがなかったのに、ほかの所から火を持ってきたので、死んだというのです。

そうだとすると、それは何を教えているのでしょうか。黙示録8章4節には、「香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、神の御前に立ち上った」とあり、香を焚くことは、聖徒たちつまり神を信頼する人々の祈りを指していることがわかります。その香を焚くための火は、祭壇の上の燃え続ける全焼のささげ物から取ればよかったのですが、そのささげ物は、ヘブル人への手紙などから、十字架でご自身をいけにえとされたキリストを指していることを教えられます。すると、祭壇の上の全焼のささげ物から火を取って香を焚くということは、十字架でご自身をいけにえとされたキリストによって祈ることを指していることがわかります。私たちは祈るときに、「イエス・キリストの御名によって」祈りますが、まさにそのことです。

私たちは意識しないで、キリストの御名によって祈っているかもしれませんが、神に気安く祈れるのは、キリストが私たちの身代わりに十字架で死に、私たちの罪を贖ってくださったからです。私たちは良い生活をし、立派な奉仕をしているときには、自信をもって祈り、欲望に流されてしまったときには、祈っても聞いてもらえないのではないかと思いますが、それは行ないによって祈っているようなものです。どちらの場合にも、キリストの身代わりの死がなければ、祈りを聞いてもらえません。私たちはキリストの身代わりの死によってだけ、祈りを聞いてもらえるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成