2023年4月20日(木)

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聖書一日一章    レビ記 13章

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祭司はその患者をきよいと宣言する。(13節)

ツァラアトという皮膚病の診断基準が記されています。ヘブル語「ツァラアト」は長く「らい病」つまり「ハンセン病」と解釈されて来ましたが、この章や次の章でわかりますが、衣服や家にもうつるので、明らかにハンセン病とは違います。いくつかの感染症を含んだ名称かもしれません。当時のイスラエルでは、一つのテントに大勢が寝泊りしていて、密集して生活していたので、どこでクラスターが発生してもおかしくない状況でした。そのため、感染症は即大量死につながるので、厳しく隔離しなければなりませんでした。それでこのような詳しい診断基準が記されているのでしょう。それにしても、感染しただけなのに、「汚れている」とされるのは、侮辱的なように思えます。しかし、感染症の原因がはっきりわかったのは、19世紀の終わりから20世紀の初めで、それまでは、得体の知れない悪霊のようなものがうつると思われていました。ですから、聖書の時代には、罪による汚れと衛生的な汚れが区別できなくても無理ありません。病気の人は病気自体で苦しいのに、心も汚れているように思われ、ほんとうにかわいそうでした。

それを考えると、キリストがマルコの福音書7章18節で、「外から人に入って来るどんなものも、人を汚すことはできません」と言われたのは驚くべきことです。ツァラアトもほかの感染症も外からうつりますが、それは人を汚すことがないということです。この見解は世の中の見解より1800年進んでいたと言えますし、どれほど多くの病気の人が心理的に救われてきたことでしょうか。同時に、キリストは、「人から出て来るもの、それが人を汚すのです」と言われ、本当の汚れは心の汚れであり、すべての人が汚れを垂れ流していることを教えられました。私たちはキリストによって本当の汚れを知り、自分が汚れていることを知ったのです。かつてイスラエルの祭司は、ツァラアトになった人を診断して、汚れていると宣言しました。大祭司であるキリストは、私たちを診断して、たしかに、汚れていると宣言はされますが、そこで終わりではなく、汚れを認めさせた上で、ご自身の血によってきよめ、きよいと宣言されるのです。イスラエルの祭司は絶望させるだけでしたが、キリストは、砕かれはしますが、救いと希望を与えてくださいます。

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