2023年4月26日(水)
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聖書一日一章 レビ記 19章
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あなたがたは聖なる者でなければならない。(2節)
イスラエルの民の生活指針です。その要約として、2節で神が、「あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、主であるわたしが聖だからである」と言われます。これは私たちにも言われていることです。キリストもマタイの福音書5章48節で、「あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい」と言われます。パウロはエペソ人への手紙5章で、「愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。光の子どもとして歩みなさい」と言います。もちろん、私たちは聖なる者になったから、救われたのではなく、それどころか、罪深い者なのに、神の憐れみにより、キリストを信じたことによって、十字架の贖いを適用してもらい、罪を赦され、神の子どもにしてもらったのです。しかし、神はご自分の子どもがご自分に似た者となることを期待しておられますし、私たちも、神の子どもにしてもらった限り、神の子どもらしくなりたいですし、そうなれるようにおのずと努力するのではないでしょうか。
私たちが神の子どもとして神の子どもらしくあることで、ここではとくに、ご自身が憐れみ深いように、憐れみ深くあるように命じられます。18節では、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と言われます。これが基本です。9節では、「収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。収穫した落ち穂を拾い集めてはならない。それらを貧しい人と寄留者のために残しておかなければならない」と言われます。貧しい人々への優しい思いやりです。14節では、「あなたは耳の聞こえない人を軽んじてはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない」と言われます。もちろん、私たちは、ハンディーのある人を思いやり、親切にしていきたいです。33節では、「あなたがたの国に寄留者が滞在しているなら、その人を虐げてはならない。あなたがたとともにいる寄留者は、あなたがたにとって、自分たちの国で生まれた一人のようにしなければならない」と言われます。どこの国の人も、とくに何らかの事情で自分の国におれなくなってのがれて来た人、つまり難民を温かく受け入れ、その人々が自分の国のように平和に住める国こそ、神の子どもたちの国、神の国です。
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