2023年4月27日(木)
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聖書一日一章 レビ記 20章
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主であるわたしが聖だからである。(26節)
イスラエルの民の生活についての規定で、子どもをいけにえにするならわし、霊媒、姦淫、近親婚、同性愛、動物との性交を禁止しています。18章でも、みだらな性のならわしの禁止の規定がありましたが、かなり重複しています。重複しているのは、それだけ大事なことだったからでしょう。
さて、これらの規定はとても厳格で、「必ず殺されなければならない」とか、「民から断ち切る」とか、怖いほどです。しかし、私はこれらの規定は永遠不変の絶対的な定めではないと思います。というのは、25節には、食べてよいきよい動物と食べてはいけない汚れた動物の規定がありますが、これはキリストによって廃止されたからです。これらの規定は旧約時代のイスラエルの法律であって、私たちの国の法律と同じように、守らなければ、厳格に罰せられるものだったのでしょう。
ところで、26節には、「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖だからである」とあります。この言葉を、神が聖だから、神に属する者も聖でなければならない、そうでなければ、切り捨てると取ることもできます。しかし、私はそうではないと思います。だれかを愛する人はその人と同じようになりたいと思います。同じように、神を愛する人は、神と同じようになりたいと思うでしょう。神がきよい方なら、自分もきよい者でありたい、きよい生き方をしたいと思うのではないでしょうか。
ですから、神を愛することが大切です。私たちにはもともと神を愛する気持ちがありませんでした。しかし、キリストと出会ったときに、私たちの心の奥に神を愛する気持ちが芽生えました。聖霊がその気持ちを与えられたのですし、その気持ちを育ててくださっています。私たち自身も、神をもっと愛するようにと祈りましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成