2023年5月7日(日)

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聖書一日一章    民数記 3章

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ゲルション族の任務は、幕屋とその覆い。(31節)

モーセの兄アロンとその子孫は、出エジプト記28章で、礼拝を司る祭司として任命されましたが、ここでは彼らの属するレビ部族全体が、礼拝をはじめとした神にかかわる事柄全般の奉仕者として任命されています。

そこで、レビ部族の人口調査が行なわれました。1章の人口調査は軍を組織するためのものでしたので、神に仕えるレビ部族は除外されていて、ここではじめて調査されました。レビ部族は、ゲルション、ケハテ、メラリという3つの氏族からなっていて、それぞれの人数とその役割が記されています。

わかりにくいのは、ほかのすべての部族の初子との関係です。エジプトを出るとき、エジプト人の初子はみな死んだのに、イスラエル人の初子は死ななかった。神に命を救ってもらったのだ。だから、初子は神のものだ。それなら、初子を神にささげ、仕えさせなければならないが、その代わりにレビ部族を神に仕えさせ、ほかの人々は彼らの生活を支えるようにというのです。

ところで、幕屋はテントと違って、中に木の骨組みがあり、しっかりしたもので、大きさもプロテスタントの平均的な教会堂ほどありました。イスラエルの民はパレスチナまで旅をしなければならず、そのためには、大きな幕屋も運ばなければならないので、一人か数人で持てるパーツに分解できるようになっていました。大きな幕屋を毎日分解して、大勢の人々で分散して運び、また組み立てたのです。

さて、幕屋は目に見えない神の地上での見えるかたちでした。その意味では、キリストこそ目に見えない神の見えるかたちで、私たちにとっての幕屋と言えます。昔、イスラエルの民が旅をするときには、幕屋は消えて、大勢の人の中にありました。現在、キリストは、ヨハネの福音書14章20節で「わたしがあなたがたのうちにいる」と言われたように、霊において信じる無数の人々の中におられます。キリストは見えませんが、私たちのうちにおられます。私たちは言葉と行いをもってキリストを現しましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成