2023年5月8日(月)
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聖書一日一章 民数記 4章
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聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。(15節)
モーセの兄アロンとその子孫は、礼拝を司る祭司として任命されていて、さらに前の章では、彼らの属するレビ部族全体が、礼拝をはじめとした神にかかわる事柄全般の奉仕者として任命されました。この章はレビ部族の3つの氏族ケハテ、ゲルション、メラリの役割分担、とくに旅のために幕屋を解体、運搬、設営するときの役割分担です。
今日心にとまったのは、契約の箱や燭台や祭壇を運ぶ前に祭司たちがしなければならない作業の手続です。覆いを掛けることや器具を載せることや担ぎ棒を通すことなどの順番が細かく定められています。その理由が15節で、「アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終ってから、その後で、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである」と説明されています。つまり、祭司以外の者が聖なるものに触れて神の怒りを引き起こし、そのために死ぬということがないためでした。そうならないように厳密に定められているのです。
それは外科手術の細心の注意に似ていると思いました。手術は人の体を開くので、体内というある意味での聖域に、菌が少しでも入らないように、そのために汚いものが触れないように、細心の注意が払われています。手術器具の消毒や扱いからスタッフの手洗いまで、手順が細かく厳密に定められていますが、それと同じです。
そのように、民数記の、神の聖なるものを汚すことが死につながることや、汚さないための細心の注意を思うと、へブル人への手紙10章19節の言葉に驚きを感じます。「私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」祭司でない者が、しかも罪深く汚れた者が聖所に入るというのは、ほんとうに大胆なことです。民数記の時代の人が聞いたら、腰を抜かしてしまうでしょう。それができるのは、キリストの血の効力のおかげです。キリストの血には、すべての罪、すべての汚れを完全にきよめる力があるからです。キリストの血によってきよめられて、大胆に神に近づきましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成