2023年5月10日(水)
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聖書一日一章 民数記 6章
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彼は次のささげ物を主に献げる。(14節)
「ナジル人」についての定めです。「ナジル人」というのは、自分を神にささげる誓いをした人のことで、「聖別する」という意味のへブル語「ナザール」から来ています。イスラエルの民の中で、レビ部族が神に仕えるように召されましたが、ほかの部族の人でも神に仕えたい人があったはずで、そのための制度でしょう。とはいえ、「ナジル人」になったからといって、幕屋で仕えるわけではなく、普通の生活をするのですが、ただ、ぶどう酒を口にしない、髪の毛を切らない、死者に近づかない、という掟がありました。髪の毛を切らず長い髪なので、「ナジル人」だとすぐにわかったことでしょう。
さて、13節から20節には、「ナジル人としての聖別の期間が満ちたとき」にささげるべきささげ物が定められています。「ナジル人」の誓いをする人は、期間を決めて誓ったようで、その期間が満了したときのことです。ここで意外に思ったことは、そのささげ物の多さです。全焼のささげ物として雄の子羊、罪のきよめのささげ物として雌の子羊、交わりのいけにえとして雄羊、それに加えて多くのパンをささげることになっています。長期間、自分を神にささげて生活してきて、やり遂げたのですから、もう十分神にささげたのではないでしょうか。むしろ、褒美をもらってもよいほどです。
それに対する答としては、自分を神にささげることは、自分自身の喜びであり、幸せであり、満たされることなので、その期間が満了したときに、感謝して多くのささげ物をするのは当然だということです。こんなことは普通はないことです。しかし、愛に満ちた神にささげると、ほかの人以上に愛され、愛に包まれ、自分自身が一番恵まれるのです。そのことは、聖書の聖徒たちの言葉からも、神にささげて生きたクリスチャンたちの言葉からもわかりますし、自分の経験からもわかるのではないでしょうか。私たちにとって、礼拝は、教会での礼拝にせよ、個人的な礼拝にせよ、自分を神にささげる時間です。時間をささげ、賛美をささげ、奉仕する人はその労力をささげ、またお金をささげます。そんなにささげて消耗するかと言うと、そんなことはなく、むしろ満たされるのではないでしょうか。
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