2023年5月25日(木)

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聖書一日一章    民数記 21章

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これに向かって歌え。(17節)

イスラエルの民が荒野で放浪した40年間の終りの頃のことです。パレスチナの南端にいたイスラエルの民は、まっすぐにパレスチナに進まず、死海の東側を回って北上し、エドムの国は通過させてくれなかったので迂回して進みました。そのように、荒野を遠回りしたので、水や食糧が不足し、飢え渇いた人々は不遜にも神とモーセを非難しました。そのため、神は毒蛇を出没させられ、多くの人がかまれて死にました。人々が悔いて、助けを求めたとき、神はモーセに、青銅で蛇を作り、旗ざおの上に付けるように言われ、そうしたところ、かまれてもそれを仰ぎ見ると、治ったというのです。

さらに北上し、モアブの野まで来、その地を支配していたアモリ人の王シホンに領地を通過させてくれるように頼んだところ、攻めて来たので、応戦して勝利し、その地を占領しました。続いて、ガリラヤ湖の東のバシャン地方の王オグが攻めて来たので、応戦して勝利し、その地も占領しました。

さて、16節には、イスラエルの民がある井戸の所に着いたときのことを記しています。その井戸は、古い井戸で、何度も涸れては、もっと深く掘って水を得ていた井戸で、そのときには涸れていたようです。神が、「民を集めよ。わたしが彼らに水を与える」と言われ、モーセがそこに人々を集め、人々が、「井戸よ、湧きいでよ」と歌ったときに、水が湧き出たようです。このことから、賛美には力がある、神の奇跡を呼び起こすものだと思いました。賛美は信仰を言い表す言葉であり、祈りの言葉でもあります。賛美を心から信じて歌うなら、信仰を言い表しながら祈ることになるので、神はその祈りに答え、必要なら奇跡を起されるのです。

また、賛美は弱い信仰しか持っていない人々の心に信仰を湧き起こす力があると思いました。ちょうどイスラエルの人々が賛美したときに、涸れた井戸に水が湧き出て来たように、賛美するときに、人々の不安な心に信仰が湧き出て来ることでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成