2023年5月27日(土)

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聖書一日一章    民数記 23章

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主が私の口に置かれること、それを忠実に語ってはいけないのですか。

(12節)

イスラエルの民はパレスチナの南端から死海の東側を北上し、ヨルダン川の東側の2つの王国を滅ぼし、そこに宿営しました。すると、すぐ南のモアブという国の王のバラクは、脅威を感じ、彼らを呪ってもらおうと、ユーフラテス川のほとりに住む高名な預言者バラムを招きました。しかし、バラムが神に伺って口にしたのは、呪いではなく祝福でした。バラクは試しに別の場所に案内してみましたが、バラムが口にしたのはやはり祝福でした。

さて、バラクが、呪ってもらうために招いたのに、なぜ祝福するのかと、クレームをつけたとき、バラムは、「主が私の口に置かれること、それを忠実に語ってはいけないのですか」と答えました。バラムは預言者と言ってもかなりあやしい預言者ですし、占い師や呪術師に近いでしょう。しかし、この章に限れば、創造主なる神の言葉を正しく聞いていますし、それをそのまま語っています。バラクの意図も、彼がわざわざ遠い所まで長老たちを遣わして迎えたことも、求め通りにすれば、大金をもらえることも意識しながら、神から聞いた通りに語っています。ある意味で、真の預言者です。

しかし、ペテロはその手紙第二2章15節で、「バラムは不義の報酬を愛した」と言います。また、ユダはその手紙の11節で、利益のために迷いに陥った人と言います。バラムの預言者としての賜物は本物だとしても、その心は利益への欲望で占められていました。キリストは、神と富を同時に愛することはできないと言われましたが、バラムは富を愛し、神を愛していませんでした。神の賜物を与えられながら、神を知らない人でした。

ところで、バラムは神から聞いた通りに語ったところ、バラクから責められました。それを考えると、自分がどんなに幸いかを思いました。私は礼拝でお分かちさせていただいていますが、聖書を、「主よ、語ってください」と祈りつつ読み、主が心に語られたことをそのまま皆さんに伝えています。それを皆さんが受け入れてくださっていることは、ほんとうに幸いです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成