2023年5月31日(水)

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聖書一日一章    民数記 27章

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なぜ父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。(4節)

イスラエルの民はヨルダン川の東側に宿営していましたが、すぐ南のモアブの王のいろいろな敵対行為があり、その後、前の章のように、神が人口調査を命じられました。人口調査は40年前、パレスチナに攻め込もうとしていたときに行いましたが、それから40年間の荒野での放浪で、再調査が必要になったのです。それは再び攻め込む時が来たことを意味していました。

そのころ、マナセ部族のツェロフハデという人の5人の娘がモーセに訴えました。父ツェロフハデは死に、息子がいないので、男子が相続する当時の習慣では、自分たちは将来のパレスチナの土地の分配にあずかれない、父が悪いことをしたわけではないのに、それは不公平だというのです。神は、「彼女たちの言い分はもっともだ」と言われ、土地の相続は、息子がいないときには娘に、娘もいないときには兄弟に、兄弟もいないときには、一番近い血縁者にさせるように命じ、相続法を定められました。

さて、ツェロフハデの娘たちは4節で、「なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか」と言いました。この言葉に、私たちとは異なる相続の考え方が表れています。私たちは相続をお金や土地をもらう権利と考えます。もし彼女たちがそう考えていたら、「なぜもらえないのですか」と言ったでしょう。しかし、彼女たちは、「なぜ私たちの父の名が削られるのでしょうか」と言いました。ということは、彼女たちにとって、相続は、父の名をずっと未来まで残すことだったのです。それは、救い主も死後のことも知らない旧約時代の人々にとって、永遠の希望のようなものでした。

しかし、私たちはキリストによって、死後に復活して、新天新地に迎えられ、そこに住み家と宝を与えられ、神とキリストの愛に包まれて、永遠に喜び楽しみながら暮らすことを教えられています。私たちはたとえお金や土地を持たなくても、たとえ、死後、忘れられてしまうとしても、私たちには永遠の希望があります。神が私たちを覚えていてくださり、新天新地で永遠の住み家と家族と楽しい生活を備えておられるからです。

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