2023年6月7日(水)
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聖書一日一章 民数記 34章
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主が命じた人たちである。(29節)
イスラエルの民は、パレスチナを征服する戦いの準備をしていましたが、ここでは、神の約束の地の範囲と、指揮を取る人たちの名を記しています。
その、指揮を取る人たちについて、神は18節で、「それぞれの部族から族長一人ずつを選ばなければならない」と言われます。古代においては血筋が重んじられ、長男の血筋が一族の長になるのが普通でしたが、ここでは血筋とは無関係に、族長を選ぶように言われています。それは29節で「相続地を受け継がせるようにと、主が命じた人たち」と言われるように、戦って約束された地を勝ち取り、人々に所有させる責任を持っているからです。ここではどのように選んだのかはわかりませんが、全体の長としてはヨシュア、ユダ族の族長としてはカレブが選ばれていることから、ヨシュアやカレブのようなスピリットを持つ人が選ばれたと思います。40年前に、その地を偵察隊が調べたとき、有利な事実と難しい事実があったのに、ヨシュアとカレブ以外は、難しい事実だけを取り上げ、信仰抜きで言いふらしたので、人々はあきらめ、荒野を放浪し、そこで死ぬことになりました。今回、選んだ人々も選ばれた人も、その失敗を見てきた子どもの世代なので、失敗を踏まえ、ヨシュアやカレブのような人を選んだことでしょう。
さて、世の中で、何かの長として、どんな人が選ばれるかを考えると、経験の長い人、学歴の高い人、お金を持っている人、あるいはお金を稼ぐ力のある人、部下をうまく統率できる人などが思いつきます。しかし、教会や信仰の団体の長は、ヨシュアやカレブのような人、つまり現実を踏まえながらも信仰に立って考えたり判断したりできる人でなければならないと思います。
ただ、そんな人が見つかるかどうかです。現実にはほとんど見つからないでしょう。だれかに期待すると、失望することになります。ですから、だれかに期待するのではなく、みんなが一人一人聖書のみ言葉に聞き、直接キリストに従っていくのが無難でしょう。一人一人が成長し、現実を踏まえながら、信仰に立って考えたり判断したりできるようになることを祈りましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成