2023年6月10日(土)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    申命記 1章

_____________________________________________________________________________

人を恐れてはならない。(17節)

イスラエルの民はパレスチナを征服する戦いの準備をしていましたが、この書は、神からそれまでに死ぬと告げられたモーセが最後にした説教です。ここでは、40年前に民が犯した失敗を残念な気持ちで振り返ります。シナイ山を出発し、砂漠を越え、パレスチナの入口まで来た。神は攻め上るように命じられたが、人々の提案で、その地を調べるために偵察隊を遣わした。彼らがその地の果物を持ち帰り、「良い地だ」と報告したのに、人々は町々の城壁や背の高い民を恐れ、攻め上ろうとはしなかった。そのため、神は、信仰に徹したカレブとヨシュア以外、その地に入れないと宣言されたと。

さて、モーセは17節で「人を恐れてはならない」と言います。これは、民の長たちに言ったことで、彼らには配下の人々のもめ事を裁く務めがあったので、裁く上で気をつけるように言っているのです。どうしても、身分の高い人を恐れて優遇したり、身分の低い人を侮って冷遇したりするからです。人々が攻め上らなかったのも、背の高い人々を恐れたことが原因でした。

私たちもよく人を恐れます。偉い人、こわい人、厳しい人、苦手な人、強い人を恐れます。また、人の目を気にし、人の評価を気にして、よく見せようとしたり、自分を隠そうとしたりします。人を恐れると、人に対して適切な対応ができませんし、自分が正しいと思うことができなくなってしまいます。

とはいえ、人々が背の高い人々を恐れたのは、当然と言えば当然です。しかし、モーセは29節で言います。「彼らを恐れてはならない。あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主があなたがたのために戦われる。エジプトでしてくださったのと同じように。」人々は神が戦われることを忘れていました。彼らは、そういう神を信じてきましたし、実際、エジプトで、神が戦われるのをつぶさに見たのです。私たちも、人を恐れるのは、自分が弱いので、当然です。しかし、神は信じる者のために戦ってくださいます。そのことを信じましょう。信じるなら、きっと神が実際に戦われるのを目撃することでしょう。そうすれば、もっと信じられるようになると思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成