2023年6月18日(日)

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聖書一日一章    申命記 9章

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私はアロンのためにもとりなしをした。(20節)

死ぬ日の近いモーセが最後にした2つ目の説教です。ここでは、パレスチナには、そびえる城壁を持つ町々があり、背の高い強い民が住んでいて、征服するのは困難だが、神の力によっては必ず征服することができると励まします。同時に、人々が高ぶらないように、神が助けられるのは彼らが正しいからではなく、ご自身の誓いと憐れみのゆえだと、釘をさします。そして、シナイ山の上で自分が神から十戒を受けている間に、山のふもとで民が鋳物の像を造って拝んだこと、神が怒って民を滅ぼそうとされたが、必死でとりなしをすると、赦してくださったことを語ります。

さて、20節では、「主はアロンに向かって激しく怒り、彼を滅ぼそうとされたが、そのとき私はアロンのためにもとりなしをした」と言います。実は、アロンは、その鋳物の像を造った張本人でした。人々に強く求められたとは言え、また、そのままでは暴動になると恐れたとは言え、偶像を造ったことは弁解の余地がなく、その上、モーセとともに民の代表でしたから、その責任は大きく、その罪は重いものでした。それなのに、死ななかったばかりか、すぐ後で大祭司に任命されたのは、私には不可解でした。その理由がこの節でわかりました。モーセは民全体のためにとりなしをしましたが、アロンについては、兄なので特別に必死でとりなしをしたのです。それで、神がそんなに重い罪でも赦されたのです。涙の祈りを聞いて赦される神の憐れみの深さを覚えます。

そういえば、代表でありながら、裏切り、しかも赦された人がもう一人います。使徒ペテロです。弟子の代表であったのに、キリストが逮捕されるときに逃げ、問い詰められて、あの人の弟子ではない、あんな人は知らないと言いました。そんなペテロが赦され、よみがえられたキリストから、「わたしの羊を飼いなさい」と、信じる人々の指導者に任命されたのです。キリストは事前にペテロに裏切りを予告し、「わたしはあなたのために祈りました」と言われましたが、そのキリストのとりなしによって赦されたのでしょう。私もキリストのとりなしによって赦されていることを覚えます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成