2023年6月19日(月)

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聖書一日一章    申命記 10章

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これに食物と衣服を与えられる。(18節)

死ぬ日の近いモーセが最後にした2つ目の説教です。シナイ山上で神から十戒を受けていた間、ふもとで人々が鋳物の像を造って拝んだので、神の怒りによって滅ぼされそうになったが、必死でとりなしをすると、赦してもらえたと話しました。ここでは、そのとき砕いてしまった十戒の板を、神がもう一度書いてくださったことを話します。それは神が過ちを赦し、契約を再び結ばれたことを意味しました。それで、契約を壊すようなことを二度としないように、神を恐れ、心から愛し、心を覆う不信仰をはぎ取るように諭します。

さて、モーセは17節で、神のことを「偉大で力があり、恐ろしい神」と言います。たしかに、14節で言うように、地上のすべてのもの、天のすべてのもの、さらに未知の世界のすべてのものも所有される神は、あまりにも大きく、あまりにも強く、恐ろしいほどです。ところが、18節では、なんとその神が、みなしごややもめや寄留者を「愛して、これに食物と衣服を与えられる」と言います。その優しさが「恐ろしい神」とあまりにも違い過ぎて、頭の中にうまく収まりきりません。しかし、考えてみると、それだけ強いから、その優しさを持つことができると言えるのではないでしょうか。私たちはみな弱いので、自分のことで精いっぱいで、弱い人々に純粋に同情して、優しくすることができないのではないでしょうか。ほんとうに強い人だけがほんとうの優しさを持つことができるのではないでしょうか。

その神の御子であるキリストの優しさも、そのうちにある神の力によるものでしょう。キリストはほんとうに強いから、ほんとうに優しいのです。パウロはとてもこわい人でしたが、キリストに出会って優しくなりました。それは、弱くなったのではなく、ピリピ人への手紙4章で、「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできる」と言うように、むしろキリストによって強くなったからでしょう。私たちにとっても、キリストは強くしてくださる方です。私たちはクリスチャンなら優しくしなければいけないと思うことがありますが、そんなことで優しくなれるはずがありません。キリストによって強くなれば、自然に優しくなれるでしょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成