2023年6月21日(水)

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聖書一日一章    申命記 12章

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私が命じるすべての物を携えて行かなければならない。。(11節)

イスラエルの民がパレスチナを所有するときに守るべきことを教えています。先住民の神々の祭壇や像をことごとく破壊すること、いけにえは自分勝手にささげず、神が選ばれる場所に置かれる幕屋でささげること、肉はどこででも食べたいだけ食べてもよいが、血は決して飲んではならないことです。

さて、11節で言います。「主が御名を住まわせるために選ばれる場所へ、私が命じるすべての物を携えて行かなければならない。あなたがたの全焼のささげ物といけにえ、十分の一と、あなたがたが供える奉納物、それに主に誓う最良の誓願のささげ物である。」神が選ばれる場所に置かれる幕屋に、いけにえを持って行くようにということと同時に、十分の一のささげ物も持って行くようにというのです。十分の一のささげ物は、神に仕えるレビ部族の生活を支えるためのものです。しかし、十分の一のささげ物を国中から幕屋に持って行くことは、実際にはとてもできませんので、おそらく国内48箇所に設けられるレビ部族の町に持って行くことになるでしょう。

この、十分の一のささげ物でレビ部族を支える制度から、教会でも、信徒が収入の十分の一を献金して牧師を支えるべきだと考える人もありますが、私は、そうは思いません。すべてのクリスチャンは祭司だ、つまり万人祭司を信じていまして、牧師はレビ部族のように特別な立場ではないと考えます。

それはそれとして、十分の一をささげること、いや、十分の一に限らず、あらゆる献金をすることは、銀行に預けるようなものだと思いました。というのは、神にささげると、神はそれ以上のものを与えて祝福してくださいます。また、困ったときには、必要なものを与えてくださいます。それはちょうど、神に預けて、利息をつけて返してもらい、困ったときには、そこか出して補充するようなものです。それで、パウロはピリピ人への手紙4章17節で、ピリピのクリスチャンたちの献金を「あなたがたの霊的な口座に加えられていく実」と表現します。神にささげることは、霊的な口座に預けるようなものです。そうすれば、霊的な口座から利息をつけて返してもらえます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成