2023年6月25日(日)
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聖書一日一章 申命記 16章
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苦しみのパンを食べなさい。(3節)
ここでは、3つの祭り、私たちの暦では3月ごろのアビブの月に、過越と種なしパンの祭り、その初日から7週間後に、七週の祭り、またの名を五十日目の祭り、そして秋の収穫の時期に、仮庵の祭りを守るように命じています。
3節では、種なしパンの祭りについて、「七日間、種なしパン、苦しみのパンを食べなさい。あなたはエジプトの地から急いで出て来たから」と言います。種なしパンの祭りをする理由は、エジプトを出るとき、急いで発ち、一週間ほどは追っ手を避け、急いでエジプトを離れなければならず、パンを焼くのに種を入れて膨らます余裕がないほどだったことを覚えるためでした。そして、パレスチナを征服し、豊かになっても、それを普通と思わず、そんな苦しみの中で神に助けられて今があることを覚えるためでした。
ところで、パウロはコリント人への手紙第一5章7節で、「古いパン種をすっかり取り除きなさい。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです」と言います。種なしパンの祭りは過越の祭りに続くのですが、そのことで、キリストが十字架で死なれた限りは、キリストを信じる者が悪を捨ててきよい生き方をすべきだと教えるのです。たしかに、過越の祭りは、子羊をほふるもので、キリストが処刑されることの預言ですし、キリストはその祭りの日に処刑されましたので、まさに、キリストの十字架の死を表しています。しかし、種なしパンの祭りのパン種には、悪の意味はありません。私はどう理解すればよいのかと悩みましたが、祈って、「苦しみのパン」という表現からヒントをいただきました。過越の祭りは、その夜に起こったエジプトからの解放を表し、種なしパンの祭りは、それからのエジプトを抜け出す苦しみを表しているのです。すると、私たちにとっては、過越の祭りは、キリストの十字架の死による、罪の赦し以上にこの世からの解放を表し、種なしパンの祭りは、解放された者のこの世から抜け出す苦しみを表しているのです。エジプトを抜け出すのが苦しかったように、救われた者もこの世から抜け出すのは苦しいのです。私たちがこの世の欲や誇りをなかなか捨てられず、苦しいのは、当然と言えば当然です。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成