2023年6月26日(月)
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聖書一日一章 申命記 17章
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王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。(16節)
モーセはここでは、欠陥のあるものをいけにえとしてささげてはならないこと、ほかの神々を拝む者は死刑に処すべきこと、その際、2人の証人あるいは3人の証人の証言によらなければならないこと、町の中でさばききれない事件は、神の幕屋が置かれる場所で、祭司たちがさばくべきこと、そして、王を立てる場合に守るべき原則を教えています。これらは旧約時代のイスラエルにかかわることで、私たちに直接かかわることではありません。
さて、16節で、「王は、決して自分のために馬を増やしてはならない」と言います。このことが心にとまりました。17節に同じように、「自分のために多くの妻を持ってはならない」、「自分のために銀や金をもってはならない」とありますが、同じ持つことでも、かなり違うのではないかと思いました。多くの妻や金銀は自分のための贅沢です。しかし、馬を増やすことは、軍備のためであり、国防のためであり、自分のための贅沢ではありません。それでも、「自分のために」と言うのです。それは、何百もの騎兵がさっそうと行進する姿は、王の誇りであり、強い軍隊を持っていることが、王の見栄だからです。あるいは、王の領土欲のためだったり、王が外国と覇を争うためだったりするからです。
しかし、私たちの王であるキリストは反対です。キリストはもともと神の尊いひとり子であり、王であることなど少しも望まれなかったのに、私たちのために王となってくださいました。そして、私たちを救うために、いのちをかけてくださいました。私たちはキリストを王と思って従っているつもりですが、実際には、都合のよいときに祈り、困ったときに助けを求めます。それでも、いつでも祈りを聞き、いつでも助けてくださいます。まるで、キリストのほうがいつも待機して仕えておられるようです。キリストは、ご自分のためではなく、私たちのために、王であられます。感謝しましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成