2023年6月28日(水)
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聖書一日一章 申命記 19章
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意図せずに打ち殺してしまった殺人者に関する規定である。(4節)
モーセはここでは、民数記35章にあった「のがれの町」と殺人者の扱いについて確認しています。「のがれの町」というのは、殺人者が裁判を受けるまでに復讐されてしまわないように、保護するための町です。そのような町をどの地域からもたどり着けるように、6つ指定するように、のがれた者のうち、あやまって死なせた者は保護し、故意に殺した者は復讐する者に渡すように、ただ、2人か3人の証人によって事実を確認するようにと言います。
さて、人が死ぬ事件が起こり、死なせた人が「のがれの町」に逃げ込んだ場合、裁判が開かれますが、復讐者に渡すか保護するかは、故意かどうかの一点にかかっています。そして、故意かどうかは心の中のことなので、非常に困難です。5節の例のように、木を切るのに斧を振り上げたところ、斧の頭が跳んで人に当たり、死に、しかもその瞬間をほかの人も見ていた場合なら、故意でないのは明らかです。また、11節の例のように、本人がその人に対する憎しみを話していて、しかも待ち伏せて襲った場合なら、故意なのは明らかです。しかし、実際には、故意かどうかを見極めるのは非常に困難です。いくら目撃した証人が2,3人いたとしても、その人の心の中までは見ることができません。現在では、科学捜査が進み、状況証拠は比較にならないほど多いですが、それでも、故意かどうか、どんな動機でしたのかなど、罪を定める上で決定的なことは、心の中のことなので、難しいことは同じです。やはり、心の中のことは、神だけが絶対的に正しく知っておられます。ですから、絶対的に正しくさばくことができるのは神だけですし、実際にさばかれます。パウロはローマ人への手紙12章18節で、「自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい」と言います。
また、キリストはマタイの福音書5章で、兄弟に「ばか者」と言う者は、神の前では殺したのも同じだと言われました。だれかに対して心の中で「ばか者」と言っても、だれもわかりませんが、神は知っておられます。幸いなことに、私たちの大きな罪も小さな隠れた罪もすべて消し去ってくださるキリストがおられますから、信じて、告白し、赦していただきましょう。
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