2023年6月29日(木)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    申命記 20章

_____________________________________________________________________________

恐れてはならない。(3節)

モーセはここでは、イスラエルの民が敵と戦う場合の心得を教えています。出陣するときには、祭司が前に出て、戦いの心構えを話すこと、次に、つかさたちが前に出て、帰りたい者を帰らせること、ある町を攻略しようとするときには、まず降伏を勧めること、しかし、パレスチナの住民は、神が滅ぼすと決められた民なので、一人も生かしておいてはならないことなどです。

さて、つかさたちが、家を建ててまだ奉献していない者、あるいは婚約してまだ結婚していない者は、帰るように、呼びかけることになっています。それはそういう人には未練があるからでしょうし、未練があれば、いざ戦うというときに、怖気付いてしまうからでしょう。戦うのに、負傷しないあるいは死なない保証はありません。たとえ勝ち戦であっても、多くの兵士の犠牲の上に勝利が得られるのです。戦う兵士はみな自分が切られたり、刺されたりして、血がどばどばと流れる光景を思い浮かべるでしょうし、いくら自分の意志で残ったとしても、恐怖がないということはないでしょう。そんな状況で、祭司が呼びかける4節の言葉は強い励ましになったと思います。「あなたがたの神、主があなたがたとともに行って、あなたがたのために敵と戦われる。」私たちも、危険をともなう仕事をするとき、手術を受けるとき、責められ針のむしろに座らされるとき、同じような恐怖を感じるのではないでしょうか。そんなとき、主がともに行って、ともに戦ってくださるということは、なんと頼もしいことでしょうか。

ところで、そういう戦いの恐怖を考えたときに、信仰によってその恐怖に打ち勝つ力を与えられることはすばらしいですが、平和で、戦いに行く必要のない状況はもっとすばらしいと思いました。私は、1951年、日本の連合国による占領が終わるサンフランシスコ平和条約の10日後に生まれました。それから今に至るまで70年余、国が一度も戦争をすることも戦争に巻き込まれることもなく、平和が続いてきました。こんなことは世界の歴史の中で、珍しいことです。このような平和は神からの賜物で、神に心から感謝したいと思いました。また、日本の平和、世界の平和のために祈ります。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成