2023年7月1日(土)

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聖書一日一章    申命記 22章

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その母鳥を子と一緒に捕ってはならない。(6節)

モーセはここでは、イスラエルの民の牧畜、農業、服装、結婚前の女性に関する様々な定めを教えています。

さて、ここで、「優しさ」ということが心にとまりました。4節では、「あなたの同族の者のろば、または牛が倒れているのを見て、見ぬふりをしてはならない。必ず、彼と一緒にそれを起こしてやらなければならない」と言います。困っている人に対する思いやりや親切、家畜に対する愛護の気持ちは、「優しさ」です。6節では、「母鳥がひなか卵を抱いている場合、その母鳥を子と一緒に捕ってはならない」と言います。母鳥と子を一緒に捕って食べることがいかにも不憫なので、そういうことを避けるという「優しさ」です。人によっては、別々に捕っても、どうせ食べるのなら、同じだとか、それならいっそ捕らなければよいとか、あるいは、単に人間の側の感傷だとか思う人があるかもしれません。動物のことだけを考えればたしかにそうですが、現在の地球の環境では、とくに、イスラエル辺りの環境では、動物を食べなければとても生きていけません。生きていくために、動物を殺して食べなければならないという悲しい現実がある中で、少しでも、人間が優しい心を失わないようにするのが、この戒めの趣旨でしょう。8節では、「新しい家を建てるときは屋上に手すりを付けなさい」と言います。現在のように様々な安全策が義務付けられているような時代ではなく、自分で気を付けなければならず、事故が起これば、本人が不注意だと責められる時代にあって、この戒めは、そんな不注意な人をも守ろうとしています。不注意な人でも事故にあわないようにするのが「優しさ」でしょう。

新約聖書の時代に、パリサイ派の律法学者たちは、これが神の道だ、こうしなければならない、こうあらねばならないと教え、その道から外れている取税人や遊女たちを軽蔑し、交わりから排除していました。しかし、キリストは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」と言われ、そういう人々の霊的な医者となられました。これこそ「優しさ」です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成