2023年7月3日(月)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    申命記 24章

_____________________________________________________________________________

奴隷であったことを覚えていなければならない。(18節)

モーセはここでは、社会生活における様々な定めを教えています。これらの定めの中に、神の優しい思いやりを感じさせるものがあります。結婚したばかりの男を、その新妻のために、戦争に行かせないようにとか、お金を貸す上で担保を取るのに、家の中に入って物品してはいけないとか、パンを作るのに必要なひき臼だけは取ってはいけないとかです。また、日雇い人の賃金は、その人が夕食を食べられるように、その日の日没前に払わなければいけないとか、収穫のときに、取り残しの穂は、取りに戻らず、寄留者や孤児、やもめのものとしなければならないとかです。神は思いやりに満ちた方です。そのことは、自分の弱さや乏しさを覚える私たちにとって、ほんとうにうれしいことです。

神は、ご自身が思いやりに満ちておられるので、私たちにも思いやりを持つように、その思いやりを隣人に示すように求められます。それでは、私たちはどのようにして思いやりを持つことができるでしょうか。何と言っても、神の思いやり、キリストの思いやりを学ぶことでしょう。聖書で学び、自分がしてもらった思いやりで学ぶことができます。また、神が聖書でこうしなさいと命じておられる思いやりを心に留めることも有益です。さらに、18節で言っている、「あなたがエジプトで奴隷であったことを覚えていなければならない」ということは、参考になります。つまり、自分自身が弱く乏しく苦しかったときのことを覚えていることです。多くの苦しみを味わってきた人は、それをしっかり覚えれば、苦しんでいる人に自然に思いやりを持てるでしょう。神はそのために苦しみを味わわせられたのかもしれません。比較的順調な人生を送ってきた人でも、苦しかったことはいくらでもあるでしょう。忘れているだけです。思い出しましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成