2023年7月5日(水)

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聖書一日一章    申命記 26章

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主はあなたが宝の民となることを誓約された。(18節)

死ぬ日の近いモーセがヨルダン川の東側の草原でした2つ目の説教の締めくくりです。

18節では、「今日、主は、あなたに約束されたとおり、あなたがすべての命令を守り、主の宝の民となることを誓約された」と言います。ここで、民が神の命令を守るようになることと、神が宝の民とみなされることとが約束されていますが、この2つのことはどういう関係なのでしょうか。民が神の命令を守るならば、神が彼らを宝の民とみなされるということでしょうか。私は逆だと思います。神から宝の民とみなされたので、神の命令を守るようになるということだと思います。この章には、困窮している人々を思いやり、食べ物を与えるようにという命令がありますが、その命令の場合だと、こうなります。神はイスラエルの民を宝の民とみなされた、そんな民のある人が惨めな状態であれば、神は放ってはおかれない、人々も神から宝として扱ってもらい、困窮したときには食べ物を与えてもらった、だから、ほかの人が困窮したときには、自分が神に扱ってもらったように扱い、食べ物を与えたいと思う、そんな具合です。

私たちも何の行いもないのに、キリストによって救われ、神に子どもにしてもらい、宝のように扱ってもらっています。自分がほんとうに神からそのように扱ってもらっているなら、兄弟姉妹に対しても、自分が扱ってもらっているようにしたいと思うのではないでしょうか。神に宝のように扱ってもらう特権は、だれでもキリストを信じるだけで受けられるものです。キリストを信じ、祈り、もっともっと宝のように扱ってもらいましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成