2023年7月13日(木)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    申命記 34章

_____________________________________________________________________________

あなたがそこへ渡って行くことはできない。(4節)

モーセの死についての記事です。モーセは神の導きで、死海の北東のネボ山またの名をピスガ山に登り、ヨルダン川の向こうのパレスチナ全体を眺めました。そのとき神が「わたしが与えると誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せたが、あなたがそこへ渡って行くことはできない」と言われました。その言葉通り、モーセはそこで死に、近くの谷に葬られました。7節には、「百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった」とあります。モーセは衰え力尽きて死んだのではなく、神のご意志によって死んだのでした。そのことは、モーセだけではありません。すべての人は神のご意志によって生き、死ぬのです。私たちは肉体が衰えて呼吸できなくなって死ぬように思っていますが、そうではなく、神の定められた時が来たから死ぬのであって、むしろ、その時が来たから、肉体がそうなるのです。自分の死について、「み心のままに」と、神にゆだねましょう。

ところで、神はモーセの死の直前に、「あなたはそこへ渡って行くことはできない」と言われました。モーセにとって死ぬということは、この世界から絶たれ、この世界でのことができなくなることでした。私たちにとっても、死ぬということは、この世界でのことができなくなることなのだと思いました。やりたいことのある人あるいはやらなければならないことのある人にとっては、残念なことです。家族との普通の生活ができなくなる人は多いでしょう。みなければならない家族の面倒をみられなくなる人も多いでしょう。今している大事な仕事ができなくなる人もあるでしょう。自分の使命だと思ってしていることができなくなる人もあるでしょう。楽しみにしている趣味ができなくなる人もあるでしょう。教会での大事な奉仕やクリスチャンとしての活動ができなくなる人もあるでしょう。それは残念なことです。どんなに心残りなことでしょうか。しかし、死ぬことが肉体のせいではなく、神のご意志によることであれば、私たちには理解できなくても、その時があらゆる角度から見て最善の時に違いありません。自分がいつ死ぬことになるとしても、その時が最善の時だと信じたいと思います。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成