2023年7月15日(土)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 ヨシュア記 2章
_____________________________________________________________________________
主がこの地をあなたがたに与えておられることを私はよく
知っています。(9節)
モーセの死後、後を継いだヨシュアは、ヨルダン川を渡ってパレスチナに攻め入ろうとしていましたが、真っ先に攻略すべき大きな町エリコに、二人の斥候を遣わしました。二人はおそらく旅の商人を装って町に入り、旅人らが立ち寄る遊女の家に入ったところで通報され、絶体絶命に陥りました。しかし、その家のラハブという遊女が二人を屋上に誘導し、亜麻の茎の束の中に隠し、役人たちには、すでに逃げたと告げたので、彼らは二人がヨルダン川に向かったと考えて追跡しました。その間に、ラハブは二人を窓から城壁の外へつり降ろし、イスラエルがこの町を攻めるときに、自分たち家族を救ってくれるように頼み、誓わせ、追っ手とは反対の山側へ逃げるように指示しました。二人は無事に帰り、町の様子を報告することができました。
さて、ラハブは助けた理由を9節で言います。「主がこの地をあなたがたに与えておられることを私はよく知っています。」ラハブは、イスラエルの神が、海の水を涸らされたことやヨルダン川の東側の2つの国を滅ぼされたことを知っていました。おそらく彼女の所に出入りする旅人たちから聞いたのでしょう。その知識によって、イスラエルの神への信仰が芽生えていました。しかし、斥候を助けることはエリコの町への裏切りで、もし見つかれば、自分も家族も殺されてしまう危険なことです。それでも助けたのは、イスラエルの神に「かけた」からです。そして、その「かけ」は正しかったのです。
私たちは、み言葉やクリスチャンたちの証や自分自身の信仰体験といった普通のことの積み重ねによって、信仰が成長していくものですが、神に「かける」ことが必要な時もあるのではないでしょうか。キリストがガリラヤ湖のほとりで網を打っている漁師ペテロとアンデレに、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたとき、「彼らはすぐに網を捨てて」従いました。二人はキリストにかけたのです。そして、そのかけは正しかったのです。私たちもキリストにかけることが必要な時が来るかもしれませんが、キリストにかけて後悔することはありません。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成