2023年7月19日(水)

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聖書一日一章    ヨシュア記 6章

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ラハブと彼女に連なるすべての者を連れ出した。(23節)

ヨシュアとイスラエルの民は、ヨルダン川を、神が水を涸らされたことによって難なく渡ることができましたが、すぐに目の前の大きな町エリコを攻略しなければなりませんでした。エリコはそこから8kmぐらいの所にあり、堅固な城壁を誇っていました。ヨシュアがどう攻略しようかと考えていたとき、神から指示がありました。戦士たち全員が黙々と行進し、契約の箱をかつぐ祭司たちが角笛を吹き鳴らしながら続き、町を一周するように、それを6日間続けるように、そして、7日目には7周し、回り終えたら、全員がときの声をあげるようにと。その通りにし、ときの声をあげると、なんと堅固な城壁が崩れ落ちたのです。それで難なく町を攻め取ることができました。

さて、23節には、「偵察した若者たちは行って、ラハブとその父、母、兄弟、彼女に連なるすべての者を連れ出した」とあります。2章でエリコの町を偵察した斥候が見つかりそうになったとき、遊女ラハブがかくまい、逃がしてくれたので、彼女に、町を攻めるとき、彼女の一族を救い出すと誓ったことを果たしたのです。それにしても、ラハブは何とうまく自分と一族のいのちを救ったことでしょう。イスラエルの斥候が自分の家に来なければ、しかもそのときとっさにかくまわなければ、町が滅ぼされたときに滅ぼされていました。それは、イスラエルの攻撃を免れただけではありません。神はパレスチナの人々をその罪深さのゆえに滅ぼすことを決めておられ、それをイスラエルにさせておられたのですから、神の定めを翻したと言えます。神の定めを翻すとはすごいことです。それだけ、斥候を助けたことには価値があったのです。それは、彼らはヨシュアが遣わしましたが、ほんとうは神が遣わされた人たちです。神はご自分の使いに心をとめておられ、彼を助ける人をご自分を助ける人のようにみなされるのです。神は昔アブラハムに言われました。「わたしは、あなたを祝福する者を祝福する。」神のしもべアブラハムを祝福する人をご自分を祝福するように思って、祝福されるのです。また、マタイの福音書25章に記されていますが、キリストは世の終わりのさばきのときに、ご自分のしもべに親切にした人に言われます。「わたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

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