2023年7月20日(木)

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聖書一日一章    ヨシュア記 7章

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主に栄光を帰し、主に告白しなさい。(19節)

ヨシュアとイスラエルの民は、ヨルダン川を渡り、まずエリコの町を攻略しましたが、神の奇跡によって城壁が崩れ、難なく攻め取ることができました。その際、神は、人も動物も物もすべて焼き滅ぼすように命じておられましたが、実際には、アカンという人が金の延べ棒などをいくらか自分のものにしていました。しかし、元来、神がイスラエルの民にパレスチナを与えられるのは、罪深い先住民をさばき、滅びを宣告されたからで、その処罰をイスラエルに代行させておられたのですから、忠実にすべてを焼き滅ぼさなければならず、着服などもってのほかでした。それなのに、アカンは黄金に目がくらみ、その禁を犯してしまったのです。イスラエルが次にアイという小さな町を攻めると、多くの者が打たれ、敗走しました。ここでつまずくと、敵が一気に勢いづき、形勢が変わってしまいます。そこで、ヨシュアが神になぜこんなことになったのかと伺うと、着服した者がいることを示されました。くじでアカンだとわかり、彼が白状したので、処刑したのでした。

さて、アカンは、激しい戦闘と混乱のさなか、だれにも気づかれずに金の延べ棒を取り、自分の天幕に持って帰り、地面を掘って隠しました。アカンは、だれにも見られていないので、絶対わからないと思っていました。しかし、神は見ておられました。全知全能の神はこの世界で起こるすべてのことを見ておられます。神の目から隠れるものは何一つありません。もしアカンが全知全能の神を信じていたら、こんなことはしなかったでしょうし、こんな悲劇は起こらなかったでしょう。しかし、全知全能の神を信じない人にとっては、人がすべてですし、人に見られるかどうか、どう思われるかが気になります。反対に、全知全能の神を信じる人は、神がすべてのことを見ておられることを知っているので、神がどう思われるかを気にするのです。全知全能の神は悪いことだけでなく、良いことも見ておられます。キリストはマタイの福音書6章3節で言われました。「あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

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