2023年7月23日(日)

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聖書一日一章    ヨシュア記 10章

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太陽は動かなかった。(13節)

ヨシュアとイスラエルの民は、ヨルダン川を渡り、エリコとアイの町を滅ぼしましたが、それを知ったパレスチナ南部の王たちは、団結してイスラエルと戦おうとしました。しかし、ギブオンという町だけは裏切ってイスラエルと和を結んだので、王たちは怒り、ギブオンを攻めました。そのため、ギブオンの人々がヨシュアに助けを求めて来、神が戦うように命じられたので、ヨシュアたちは出陣し、夜通し歩いて彼らを襲いました。神は雹を降らせたり、太陽の沈むのを遅らせたりして助けられました。その日、パレスチナ南部の主要都市の王たちを打ち、その日と次の日に多くの町を占領しました。

さて、ヨシュアは戦いの中で、「太陽よ、ギブオンの上で動くな」と叫びましたが、神はその願いを聞かれ、「民がその敵に復讐するまで、太陽は動かなかった」とあります。なぜそんなことを願ったのか、敵地で戦っているので、相手を一度に打ちのめしてしまわねばならず、太陽が沈むと、逃げられ、態勢を建て直されるので、沈む前にできるだけ勝っておきたかったのです。

それにしても、太陽が空の真ん中で止まるということがあるのでしょうか。全能の神なら、どんなこともできるはずですし、太陽を止めるというか、地球の自転を止めることもできるはずです。私も神なら可能だと信じています。それでも、そうされたのではないと思うのです。というのは、地球の自転も含めて、自然は神が造られたもので、神は自然を大切にしておられ、多くの奇跡も、できるだけ自然に影響を与えないように行われるからです。だからと言って、こういうふうに奇跡を行われたと説明できるわけではありませんが、これまでの経験から、そのときはあり得ないと思っても、何十年か経って、あり得ることが発見されるということがありますので、太陽が止まることについても、きっとそうなるだろうと思います。

ただ、神が、ご自身に拠り頼む者を助けるためには、太陽を止めることまでされるということに、神の大いなる力に対する驚きと、神の深い愛に対する感動を感じないではおれません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成