2023年7月27日(木)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 ヨシュア記 14章
_____________________________________________________________________________
ゆずりとして受け継いだのは、次のとおりである。(1節)
イスラエルの民がパレスチナを征服する戦いは長く続きましたが、ヨシュアは晩年、神の命によりパレスチナ全土を各部族に割り当てる作業をしました。この章から19章まではその作業の結果ですが、この章ではおもにユダ族のことを述べます。ユダ族の中で信仰の勇者として尊敬されているカレブがあるときヨシュアの所に来て言いました。「自分はかつて偵察のために派遣されたとき、主を信じ通したので、モーセは『あなたの足が踏む地をあなたとあなたの子孫に与える』と誓った。それから45年、85才になるが、壮健で十分戦える。それで、城壁があり背の高い強い民がいる大きな町ヘブロンを与えてくれ」と。与えると言っても、戦って攻め取らなければならない地域であり、最大の難所でした。カレブは分け前を要求したのではなく、だれも手を出せない難所に挑戦させてくれと頼んだのです。神の力によってできるという確信があったからです。さすが信仰の勇者カレブです。
さて、1節では、「イスラエルの子らがゆずりとして受け継いだのは、次のとおりである」と言います。「ゆずりとして受け継ぐ」というのは、神からゆずりとして受け、子孫が代々ゆずりとして受け継いでいくという意味です。各部族が割り当てられる地は、これまで戦って攻め取った地か、これから戦って攻め取る地です。それなのに、「神からのゆずり」と表現しているのは、実際には戦って攻め取らなければならないとしても、それができるのは、神が戦う力と機会とを与え、戦うときにご自身の力で勝たせてくださるということが底辺にあります。私たちも、何かを手に入れるのには、相続という幸運な場合もありますが、たいていは自分で働き、努力しなければなりません。それで、自分で手に入れたと思っています。しかし、このみ言葉から、自分が持っているものはすべて、神からゆずりとして与えられたものだということを教えられました。働いたり努力したりするのには、体力と知力と気力が必要で、それは神から与えられたものだからです。何も良いものを持って生まれてきていないと思う人があるかもしれません。それは気づいていないだけではないでしょうか。そうでなくても、クリスチャンは、求めれば与えられるという約束を受けています。もっともっと求めて、与えられましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成