2023年8月2日(水)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 ヨシュア記 20章
_____________________________________________________________________________
隣人を意図せずに打ち殺してしまったのである。(5節)
ヨシュアがパレスチナ全土の各部族への割り当てを終えたとき、神はヨシュアに「逃れの町」を指定するように命じられました。「逃れの町」というのは、3節にあるように「意図せずに誤って人を打ち殺してしまった殺人者がそこに逃げ込むため」の町です。つまり、人を殺してしまった人が裁判を受ける前に、殺された人の肉親から復讐されないように、そこで、正しい裁判を受けられるようにするための町です。すでに民数記35章で命じられていましたが、ヨシュアは、実際に、6つの町を指定したのでした。
さて、「逃れの町」はだれかが「意図せずに誤って人を打ち殺してしまった」場合のためです。たとえば、木を切ろうとして斧を振り上げたところ、斧の頭が抜けて隣の人に当たった場合です。これは実に不幸なケースです。その人に悪気がまったくないのに、人が死に、死んだ人の家族が悲しみのどん底に沈み、自分は殺人者になり、その家族から恨まれるという悲劇です。関係する皆が不幸になってしまいます。しかも、このような危険は、文明が進めば進むほど、生活のスピードが速くなればなるほど、また、規模が大きくなればなるほど、高くなるように思います。素手で作業をしているよりも斧などの道具を使っているほうが、また、道具を使っているよりも、機械を使っているほうが、危険が高くなります。現代はすべての人がそのような危険と隣り合わせです。自動車を運転していると、いつでも人をひく危険があります。火を使っていると、いつでも火事を起こし、人を巻き込んでしまう危険があります。注意を怠ってはなりませんが、人間の注意力は完全ではなく、必ずミスが生じます。私たちは、自分が殺人者になる可能性があり、その可能性をゼロにすることはできません。私たちは神の守りを絶対的に必要としています。私たちが今まで幸いにもそんなことがなかったとすれば、神が憐れんで助けてくださったことを思いましょう。自分は大丈夫だなんて高ぶらず、一日一日神の守りによって平穏に過ごせていることを思い、感謝するとともに、神の守りを祈っていきましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成