2023年8月3日(木)
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聖書一日一章 ヨシュア記 21章
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一人として彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。(44節)
ヨシュアがパレスチナ全土の、各部族への割り当てを終えたころ、レビ部族の諸氏族のかしらたちがやって来て、神が約束された、自分たちが住む町とその周りの放牧地を与えてくれるように願い出ました。レビ部族はもっぱら神に仕えるように召されていたので、ほかの部族のように農作のための土地は与えられませんでしたが、神は民数記35章で、住むために48の町とその周囲450mの放牧地を与えるように命じておられました。そこでヨシュアはすべての部族から48の町を選んで与えました。レビ部族の人々は全国に散らばって住んで、牧師のような働きをしていくことになります。
さて、そのように、パレスチナ全土の各部族への割り当てとレビ部族への町々の付与を述べた上で、44節で、「すべての敵の中にも、一人として彼らの前に立ちはだかる者はいなかった」と言います。たしかにそうで、パレスチナの先住の民でイスラエルに対抗し、押し返すような民はいませんでした。結果だけを見れば、ただ、そうだったということですが、当初の真っ暗な見通しを思い返すと、まったく予想外の結果なのです。最初にパレスチナを偵察に行った人々の報告は絶望的でした。「その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって非常に大きい。そこで見た民はみな背の高い者たちだ。私たちの目には自分たちがバッタのように見えたし、彼らの目にもそう見えただろう。あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。」それは間違ってはいない客観的な見込みでした。ただ、神が、ご自身を愛し、信頼し、祈る者に行使される全能の力を忘れていました。その力を考慮すると、そのときのヨシュアやカレブの言葉になります。「もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。ぜひとも上って行って、そこを占領しよう。必ず打ち勝つことができる。」そして、ヨシュアやカレブが正しかったのです。できないと思えば、まずできないでしょう。しかし、「神は愛しておられる。神が全能の力で助けてくださる。だから神の力によってできる」と思うならば、できるのです。
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