2023年8月5日(土)
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聖書一日一章 ヨシュア記 23章
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あなたがたは一人で千人を追うことができる。(10節)
ヨシュアは戦いを終え、平安に過ごしていましたが、自分の死期が近いことを知り、2節にあるように、イスラエルの全部族のリーダーたちを呼び、大事なことを言い残しました。「あなたがたのために戦ったのは、主である。」「主を愛しなさい。」残っている民を追い払い、その地を占領しなさい。モーセの律法の書に記されていることを守り行いなさい。そうすれば、「あなたがたの神、主ご自身が、(今後も)あなたがたのために戦われる」と。
さて、10節では、「あなたがたは一人で千人を追うことができる」と言います。たしかに、エジプトを出た弱い民が、追いかけてきたエジプト軍を撃退したのは、神の奇跡によってですが、一人で千人を追うようなことでした。また、ヨシュアがエリコを攻め取ったのも、パレスチナの連合軍に勝ったのも、一人で千人を追うようなことでした。その後も、預言者サムエルやヨナタンやダビデにおいて、一人で千人を追うようなことがありました。ただ、そのようなことは、ある時期だけの特別なことだと思っていました。しかし、今日、思いました。ここでヨシュアが言うように、神の力を信じ、神が自分たちのために戦われるとほんとうに信じていたならば、一人で千人を追うようなことがずっと続いていたに違いないと。そうすれば、国々はイスラエルを恐れ、偉大な神のことを知ろうと、多くの人が学びにやって来て、神のみ名は全世界に轟き、世界中の民が信じるようになったかもしれません。
ペンテコステの日の聖霊降臨の後に起こったことも、一人が千人を追うようなことでした。120人の証言によって3千もの人がキリストを信じてバプテスマを受けたのですから。その後も信仰がエルサレムからユダヤ、サマリア、シリア、アフリカ、ローマへと、爆発的に広がっていきました。もしその後のクリスチャンたちが、キリストを信じる者に神の力が働くことをほんとうに信じていたなら、そのような爆発的な宣教が続いていたかもしれません。いや、私たちもほんとうに信じているなら、今もそういうことが起こるかもしれません。問題は私たちの信仰の弱さです。このような信仰の弱い者も憐れんで信仰を強めてくださいと祈りました。
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