2023年8月12日(土)

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聖書一日一章    士師記 6章

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私は父の家で一番若いのです。(15節)

パレスチナに定住したイスラエルの民は、何度も周辺の諸民族に侵略されましたが、神が起こされた勇士によって解放されてきました。このときは砂漠の民ミディアン人に略奪されていました。神が彼らから解放するために召されたのは、ギデオンという若者でした。ギデオンに天使が現れてその使命を伝え、その夜、神が直接ギデオンにまずしなければならないことを告げられました。彼の父がなんと、大きな偶像を持っていたので、それを壊すことでした。ギデオンが壊すと、町の人々に殺されそうになりましたが、父がなだめてくれ、助かりました。そうした後、戦う者を呼び集めたところ、3万人以上集まりました。しかし、出陣するには、神の召しの確信が欲しかったので、地面に羊の毛を敷き、朝、羊の毛だけが露に濡れているというしるしを求め、次にその反対の現象のしるしを求め、その通りになりました。

さて、天使がギデオンに神の使命を伝えたときに、彼は15節で言いました。「ああ、主よ。どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです。」ギデオンは自分の弱さ、未熟さを感じ、とてもできないと思いました。私たちはここを読むときに、ギデオンは気の弱い若者だという印象を持ち、そんな気の弱い若者でも、神は用いられるし、神がともにおられるときに勝利できると、とても励まされます。それはそうなのですが、私はここで、ギデオンが弱さを感じたのは、身にあまる大きな使命を与えられたからだと思いました。たとえば、「あの門を見張りなさい」とか、「あの預言者の護衛をしなさい」とかの使命であれば、そんなに弱さは感じなかったでしょう。私たちも、いつものことをいつものようにするだけなら、弱さは感じないでしょう。しかし、一度もしたことがないような大きなことを任されるとき、弱さを感じるのではないでしょうか。クリスチャンとして、普通の信仰生活をしているだけなら、弱さを感じないでしょう。しかし、自分の周りの多くの人の救いを願って祈るとき、あるいは、自分の教会の将来を考えたり、日本の宣教のことを熱心に考えるとき、弱さを感じるのではないでしょうか。そのときこそ、主が「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と言われるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成