2023年9月10日(日)

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聖書一日一章    サムエル記第一 10章

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神はサウルに新しい心を与えられた。(9節)

イスラエルの長老たちがサムエル亡き後のことを憂え、王を執拗に求めたので、神は求めを受け入れ、サウルを選ばれました。サウルがたまたまサムエルの所に来たとき、神はサムエルに、彼こそその人だと示されたので、サムエルは神の選びのしるしに油を注ぎました。ただ、サウルにとっては突然のことだったので、サムエルは、彼自身が確信できるように、そのしるしとして、道すがら起こる幾つかのことを告げましたが、その通りになりました。その後、サムエルは、国民集会を招集し、彼が指名するより、神にくじで示していただく仕方を選び、くじを引くと、やはりサウルが選ばれました。

6節には、「主の霊があなたの上に激しく下り、新しい人に変えられます」とあり、9節には、「神はサウルに新しい心を与えられた」とあります。聖霊により「新しい人に変えられた」と言えば、ヨハネの福音書3章のキリストの言葉を思い出します。「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」その箇所でキリストが言われた、神の国に入るための聖霊による新生を、サウルがここでしているように思われます。それなら、その後の振る舞い、神が命じられたことに従わなかったり、神が選ばれたダビデを殺そうとしたりしたのは、なぜでしょうか。とても新生し救われた人とは思えません。この箇所の解釈は人によって真っ二つに分かれます。サウルは一時的な聖霊の体験をしただけで、新生もしていないし救われてもいないというのと、ほんとうに聖霊によって新生し救われたが、肉の弱さのために多くの過ちを犯したというのです。どちらとも決めがたいですし、解釈が分かれる箇所で、軽率に一方に決めたくありません。しかし、解釈が分かれるということは、サウルがほんとうに新生し救われていたという解釈もありうるということです。救われていたのに、なぜ信仰者らしからぬことをしたのか。「悪い霊が彼を脅えさせた」とあるように、悪い霊のせいです。このことは、ほんとうに新生し救われているクリスチャンでも、精神病などのせいで、神に暴言を吐くことがあることを示しています。精神病のクリスチャンが神に暴言を吐いても、病気のせいだと受け止める助けになるでしょう。

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