2023年9月11日(月)
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聖書一日一章 サムエル記第一 11章
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主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た。(7節)
イスラエルの民が執拗に王を求めたので、神はサウルを選び、預言者サムエルにそのことを示されたので、サムエルはサウルに油を注ぎ、さらに国民集会を召集し、くじによって神の選びを証明し、正式に任命しました。しかし、イスラエルでは王は初めてで、サウルも無名の青年だったので、すぐには受け入れられませんでした。そのうち、ヨルダン川の東のある町がアンモン人に攻められ、皆の目をえぐり出すと脅され、国中に助けを求めてきました。それを知ったサウルは、国中から戦う者を何十万人も集め、敵の軍勢と戦い粉砕しました。この勝利によって、ようやく全国民から認められました。
さて、7節には、「彼は一くびきの牛を取り、それを切り分け、使者に託してイスラエルの国中に送り、『サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる』と言った。主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た」とあります。その町から「助けてください。このままならみなの目をえぐられてしまいます」という伝言が各地に届いても、戦おうと立ち上がる部族や町はありませんでした。かわいそうにとは思っても、死ぬことを覚悟して戦おうとまでは思わなかったからです。人間は薄情なものです。かわいそうに思ったり、同情するだけでも、上等だと言わなければなりません。しかし、サウルから切り分けられて血のしたたる肉が届き、「出て来ない者の牛は、このようにされる」という伝言を聞いて、立ち上がりました。自分たちの生活が脅かされるからです。人は、自分の生活が脅かされて初めて、立ち上がり、害悪と戦ったり、問題に真剣に取り組んだりするものです。
しかし、多くのクリスチャンが自分の生活とは関係がないのに、遠くの人々の苦しみや不幸のために、親身になって心配し、祈り、献げ、助けるために出かけ、あるいは行く人を支えてきました。また、遠くの人々の救いのために、命の危険を冒して宣教してきました。何がクリスチャンたちにそうさせたのでしょうか。それは、聖霊だと思います。聖霊は、生活が脅かされるほどのこと以上に、人を立ち上がらせる力があるのです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成