2023年9月14日(木)

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聖書一日一章    サムエル記第一 14章

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主がお救いになるのを妨げるものは何もない。(6節)

サウルが王になってしばらくして、ペリシテ人と戦争になりましたが、何万もの戦車を持つペリシテ軍に対して、サウルの軍は、まともな武器もなく、兵が離脱して6百人しかおらず、とても勝目がありませんでした。しかし、サウルの息子のヨナタンは道具持ちと二人だけで、ペリシテ軍の先陣に切り込み、20人を倒しました。すると、兵たちは、何が起こったのかとあわて、混乱し、同士討ちをし、そこにサウルの軍が駆けつけて大勝利しました。

さて、サウルはある意味で「信心深い」人でした。その日は朝から、神に戦勝の祈りを聞いてもらえるように、兵たちに断食を誓わせていました。さらに、ペリシテの陣営での混乱を見たとき、すぐに行かず、神の契約の箱を持って来させました。その箱をかつぐ祭司たちに出陣すべきかどうかを伺わせるためでしょう。勝利した後、ペリシテ軍を追うべきかを神に伺って、答が出ないと、だれが誓いを破ったかを調べさせ、ヨナタンだとわかると、死刑を宣告し、息子の命よりも神への誓いを大事にしています。そのように、「信心深い」人でした。しかし、何か変です。それは神が求められる信心深さではないからです。それは、神への信頼から出たものではなく、神の怒りと罰への恐怖から出たものだからです。私たちも、神の怒りと罰を恐れて、奉仕をしたり、クリスチャンらしい生活をすることもあります。そのようなとき、無理をしていることが多く、サウルの兵たちが、断食に耐えられず、分捕り物に飛びかかり、禁じられていることをしたように、崩れると、かえって反対の極端に行ってしまいます。

サウルの「信心深さ」に比べ、ヨナタンは何と自由だったことでしょうか。前の章では、勝手にペリシテの守備隊長を倒し、ここでは、勝手に一人でペリシテと戦争をしています。また、森で蜜を見つけて食べ、部下が注意しても、「父はなぜこんなに元気になるものを禁じているのか」と気にしませんでした。ある意味であまり「信心深い」人ではありませんでした。しかし、6節で、「主がお救いになるのを妨げるものは何もない」と言っているように、神に全幅の信頼を置いていました。神が求められるものは一つだけです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成