2023年9月16日(土)

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聖書一日一章    サムエル記第一 16章

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彼の容貌や背の高さを見てはならない。(7節)

サウルは、神に王として選ばれたにもかかわらず、神の言葉に従わず、人間の考えで国を治め、預言者サムエルが戒めても悔い改めないので、神はついに王位から退けられました。神は代わりに選んだ人を指名するために、預言者サムエルをベツレヘムのエッサイという人に遣わされました。エッサイは7人の息子を順々に紹介しましたが、だれも該当せず、まだ少年だからと紹介しなかった末の息子ダビデを連れて来させたところ、神が「その人だ」と言われ、サムエルは神の選びを示す意味で油を注ぎました。ダビデにはその日以来、聖霊が下り、その働きが顕著になりました。他方、サウルは悪霊にとりつかれ、何かにおびえるようになり、落ち着かせるために、ダビデがたまたま立琴の腕を見込まれて、サウルの傍らで立琴を弾くようになりました。

さて、サムエルがエッサイの長男を紹介されたとき、神は「彼の容貌や背の高さを見てはならない」と言われました。彼は背が高く、ハンサムだったので、王としていかにもふさわしいと思ったのでしょう。しかし、神が王として選ばれるのは、容貌や背の高さによるのではありません。サウルについては9章で、「美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。民のだれよりも、肩から上だけ高かった」と言われていました。一方、ダビデについては、12節で「血色が良く、目が美しく、姿も立派だった」とほめてはいますが、無理にほめるところを捜して言ったような言い方です。私たちがもしサウルとダビデが並んでいるのを見たなら、みなサウルを選ぶでしょう。そのように、容貌や背の高さを見ないというのは難しいことです。

神が「人はうわべを見るが、主は心を見る」と言われるように、私たちが容貌や背の高さを見ないで、心を見ることができるためには、自分の心の一新が必要です。パウロはローマ人への手紙12章2節で、「心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい」と言います。私たちはキリストを信じたときに、新しく生まれ変わり、新しい心をもって出発しました。その新しい心も、この世で生活していると、この世の雰囲気に染まっていきます。聖霊によって、心を新しくしていただきましょう。

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