2023年9月20日(水)

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聖書一日一章    サムエル記第一 20章

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私が死ぬことのないようにする必要はありません。(14節)

ダビデは、サウル王から部隊の長に任命されると、戦うごとに勝利しましたが、その人望が高まると、サウルは王位を脅かす者と見、殺意を抱きました。何度か殺そうと試み、ついに家に使者を送って捕らえようとしたところ、妻のミカルが機転をきかせて逃がしたので、ダビデは助かりました。その後、これから長く逃亡生活をする上で、親友の、サウルの子のヨナタンだけには真実を知ってほしいと思い、会いに行きました。そして、ヨナタン自身にサウルの殺意を確かめてもらい、野原で会い、最後の別れを告げ、永遠の友情を誓いました。

さて、14節でヨナタンはダビデに言いました。「もし私がこれ以上生きるべきでないのなら、あなたは、主の恵みを私に施して、私が死ぬことのないようにする必要はありません。」ヨナタンは、自分が生きるべきでないのなら、情けは無用、生きるべきならば、恵みを施して生かしてくださいと言っています。命乞いのような言い方です。この言葉は不思議な言葉です。指名手配されているダビデが、王子のヨナタンにこう言うのなら自然ですが、反対に、ヨナタンがダビデにこんな言い方をしているからです。圧倒的に強い立場のヨナタンが、圧倒的に弱い立場のダビデに命乞いをしているのです。

ヨナタンがそんな言い方をしたのは、神が見られるようにすべてを見ていたからです。つまり、神が父サウルを王位から退け、代わりにダビデを王として選ばれたことを知っていました。そして、父が王位に執着するあまり、罪のないダビデを殺そうとしているのを見、それは赦されないことであり、神によって必ずさばかれると思っていました。それで、ダビデは必ず王になり、自分は父とともに滅ぼされると予想し、命乞いのような言い方をしたのです。

ヨナタンのように、現実を、人が見るようには見ず、神が見られるように見ることができるのはすばらしいことです。私たちも神が見られるようにすべてのことを見て、それに従って行動することができればと思います。

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