2023年9月21日(木)

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聖書一日一章    サムエル記第一 21章

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ダビデは祭司アヒメレクに言った。(2節)

ダビデが戦うごとに勝利し、人望が高まると、サウル王から王位を脅かす者と見られ、何度も殺されかけ、ついに逃亡しました。そして、ここに記されているように、アヒメレクという祭司の所に行き、供えのパンをもらって空腹をしのぎ、保管してあったゴリアテの剣をもらって武装し、サウルの手の届かない、敵国ペリシテに行きました。しかし、ダビデだということがわかってしまい、その町の王の前で、気がふれたふりをし、その場を繕いました。

さて、ダビデが祭司アヒメレクの所へ行ったことは、間違いだったのでしょうか。次の章では、アヒメレクは、ダビデに便宜を図ったことをサウルに告げ口され、謀反とみなされ殺されます。ダビデがそこに行ったことがそんな悲劇を生んでしまいました。もちろん、悪いのは罪のないアヒメレクを殺したサウルであって、ダビデではありません。

しかし、ダビデはアヒメレクに、「なぜ、お一人で、だれもお供がいないのですか」と尋ねられて、王から極秘命令を受けていて、部下とはある場所で落ち合うことにしていると、うそを言いました。生きるか死ぬかの場面でうそを責めることはできません。しかし、うそを言わなければならない状況は、けっして最善とは言えず、神のみ心にかなっているとは言えないでしょう。

では、どうすればよかったのでしょうか。私にはわかりませんし、生きるか死ぬかの人について、その場にいない者が、偉そうに、こうすべきだったと言えないでしょう。ただ、ダビデも人間で、神のみ心に従うのには限界があったことは言えるでしょう。私たちはなおさら、神のみ心に従うのに限界のある人間です。その点では謙遜になりましょう。同時に、ここに登場するダビデの子孫で「ダビデのような王」と預言されて生まれてきた方、つまり、キリストは、神のみ心に完全に従われました。キリストは「ダビデのような王」どころか、はるかにすぐれた王です。その方が今も生きて、私たちとともにおられ、私たちが神のみ心に従うのを助けてくださいます。私たちは従えなくても、キリストに助けてもらえば、できないこともできるでしょう。

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