2023年9月23日(土)
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聖書一日一章 サムエル記第一 23章
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そこここと、さまよった。(13節)
ダビデが戦果をあげ、人望が高まると、サウル王から王位を脅かす者と見られ、何度も殺されかけ、ついに逃亡し、転々と居場所を変えて隠れていましたが、彼を慕う人が集まって来、6百人ほどの手勢を持つようになりました。
さて、13節には、ダビデらは「そこここと、さまよった」とあります。ある場所に隠れても、すぐに密告され、サウルの軍がやって来るので、あわてて別の場所を捜し、移らなければなりません。あてどもなく、あすどうなるかもわからず、今日生き延びることしか考えられず、文字通り、さまよっていたと言えます。しかし、ほんとうにさまよっていたでしょうか。ダビデは神によって王として選ばれ、預言者サムエルの油注ぎによってそのことを確証されていました。神はその通り、いつもともにいて命を守ってこられました。ダビデは、あすのことはわからなくても、この章でもそうですが、神に伺って確実な導きを得ています。司令官の指示に従って動いているようなものです。これはさまよっているとは言えないでしょう。私たちも、あすどうなるかも、どこへ行くかもわからない時があります。それでも、キリストを信じているかぎり、キリストはいつもともにいて守り、導いてくださるので、けっしてさまようことはありません。
他方、サウルは王の地位にあり、立派な王宮に住み、命令一つで動くおびただしい家来がいました。しかし、サウルは周りの人をだれも信じられませんでした。前の章の8節で、サウルは家来たちに言いました。「おまえたちはみな私に謀反を企てている。息子がエッサイの子と契約を結んでも、だれも私の耳に入れない。私のことを思って心を痛めない。」この言葉にサウルの心境が凝縮されています。自分に一番誠実なヨナタンでさえ信じられないのですから、ほかの家来は当然信じられないでしょう。そして、耳を貸すのは、ドエグのような、自分の利のためには親しい人をも裏切る悪い人だけという状態でした。サウルこそ、さまよっていました。現在、世の中には、だれも、また何も、信じられない人が多くおられます。そういう人は立派な家に住んでいても、社会的に高い地位にあっても、さまよっています。
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