2023年9月24日(日)
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聖書一日一章 サムエル記第一 24章
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彼は主に油注がれた方なのだから。(6節)
ダビデはサウル王に命をねらわれ、洞穴などに隠れ、転々としながら、彼の下に集まってきた6百人ほどの部下とともに、逃亡生活をしていました。ダビデらが死海の近くにいたとき、サウルは密告により3千の精鋭を率いて駆けつけましたが、用を足すために洞穴に入ったところ、たまたまその奥にダビデと部下たちが潜んでいました。サウルは、護衛もなく、ひとりで、奥に人がいることに気づいていないので、彼を倒す千載一遇のチャンスでした。それで一人の部下は、「今日こそ、主があなたの敵をあなたに渡されるその日です」と、殺すように促しました。ダビデもそうしようと、剣を振り上げましたが、思い直し、上着のすそだけを切り取って戻り、部下たちに言いました。「私が、主に油注がれた方に対して、手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主に油注がれた方なのだから。」そして、サウルが外へ出るや、呼びかけ、切り取ったすそを掲げ、殺せたのに殺さなかった、自分の誠意を信じて欲しいと訴えました。サウルはそれを聞き、過ちに気づき、ダビデの正しさを認め、謝罪しましたが、その気持ちは長く続きませんでした。
さて、部下たちは、ダビデは神に王として選ばれた人だ、だれよりもよく治めることができる、国民も彼が王になることを望んでいる、実際、彼が王になれば、国民も幸せだ、すべて好都合で、神の導きに違いないと考えました。そのうえ、何千もの洞穴がある中で、同じ洞穴で鉢合わせたのは、奇跡だ、神の導きに違いないと考えました。しかし、ダビデは、神から油を注がれた方に手を下すことは許されないと考えました。神によって王位から退けられたことを知っていました。悪霊に取りつかれて、まともな判断ができず、王にふさわしくないことも知っていました。しかし、神が油を注いで任命された限り、神のしもべであり、神が主人です。やめさせるとすれば、神がなさることです。ダビデにとっては、他人のしもべです。ダビデが他人のしもべをやめさせることも、何かをすることもできません。私たちも他のクリスチャンがまずいことをしていると思うときがあります。注意するだけでは足りず、力で何とかをしようとするときがあります。しかし、パウロはローマ人への手紙14章で言います。「他人のしもべをさばくあなたは何者ですか」。
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