2023年9月28日(木)

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聖書一日一章    サムエル記第一 28章

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主の燃える御怒りをもって、アマレクを罰しなかった。(18節)

ダビデがペリシテの地に逃れて1年あまり、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとし、ダビデが世話になっていた領主アキシュも彼に、ともに戦うように要請しました。ダビデは、同胞と戦うというとんでもない状況に置かれますが、立場上断れません。他方、サウル王は戦いを恐れ、神に伺っても答えがなく、頼りの預言者サムエルも死んだので、不安の持って行き場がなく、霊媒女に伺ったところ、彼自身も彼の息子も死ぬと告げられました。

さて、霊媒女は、サウルと息子が死ぬ理由として、18節で、「主の御声に聞き従わず、主の燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ」と言いました。これは15章に記されていた、神がサウルにアマレク人をすべて滅ぼすように命じられたのに、彼が羊や牛の最も良いものを惜しんで残したことを指しています。サウルが戦利品にしか関心がなく、神のアマレク人に対する燃える怒りに関心を持たず、共感もしなかったことを責めておられます。預言者サムエルが呼び出されて言ったことになっていますが、霊媒女の言葉ですので、どこまで信用していいのかわかりません。しかし、この箇所に限らず、神の怒りのことが書かれている箇所では、神はどうしてそんなに怒られるのかと、共感できず、戸惑うことがあるのではないでしょうか。

神は限りなく高い方で、神のお考えやなさることは私たちにはとても理解することができません。しかし、神は親切で、私たちが知る必要のあることは、み言葉によって知らせてくださっているので、私たちは知ることができます。それでも、理解できないことは多いです。神が燃える怒りを持たれる理由も、その一つです。ただ、確かなことは、神が燃える怒りを持たれる場合には、私たちにはわからなくても、十分な理由があるということです。

しかし、神は燃える怒りを持たれると同時に、み子キリストを遣わし、燃える怒りをすべてキリストにぶつけ、人が燃える怒りから免れる道を備えられました。怒りが激しいからこそ、キリストが十字架にかけられて死ななければならなかったのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成