2023年9月30日(土)
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聖書一日一章 サムエル記第一 30章
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ともに同じく分け合わなければならない。(24節)
ダビデは、ペリシテ人とイスラエルの戦いのため、あわや同胞と戦うところでしたが、ペリシテの領主たちの反対で帰され、助かりました。しかし、帰ってみると、アマレク人に襲われた後で、女と子どもはみな略奪されていました。ダビデは悲しみのどん底にある兵たちから責任を追及されましたが、神の言葉によって奮い立ち、敵を追跡し、人も物もすべて取り戻しました。
さて、追跡したとき、2百人は疲れきって動けず、残り4百人で戦ったのですが、後で取り戻した物を分けるとき、一部の者が、戦わなかった者は分け前にあずかる資格がない、妻子だけ連れて帰れと言いました。そのときダビデは、「主が私たちに下さった物をそのようにしてはならない。ともに同じく分け合わなければならない」と言い、それがイスラエルの掟となりました。
獲得したものをどう分けるかということは、永遠の課題です。皆が同じ働きをしたのであれば、等分に分けて、何の問題もありません。しかし、現実には、戦った4百人と、すわって待っていた2百人のように、その働きは大きく違います。そして、その働きに対する評価も人によって違います。昔から将軍にとって、戦った兵にどう報いるかということは、作戦を立てるのと同じくらい頭を悩ませる問題でした。現在も、仕事の報酬をどのように調整するかは、大きな問題です。労働運動もそのために起こりましたし、最近の非正規労働者の問題や格差拡大の問題でもあります。その課題について、神を信じる者としての答えは、ともに戦った者、ともに働いた者は、その働きの大きさによらず、「ともに同じく分け合」うことでしょう。キリストはマタイの福音書10章8節で、「あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい」と言われます。また、パウロはローマ人への手紙15章1節で、「力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきである」と言っています。また、コリント人への手紙第二8章では、たとえ現実社会で報酬に大きな差があっても、困っている人々のために献金をすることによって平等になることを願っています。それは、大きな働きをしたとしても、神の賜物と助けによってそれができたのであって、その人の功績ではないからです。
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