2023年10月4日(水)
_____________________________________________________________________________
聖書一日一章 サムエル記第二 3章
_____________________________________________________________________________
弟アサエルを殺したからであった。(30節)
サウル王が戦死すると、神から王として選ばれていたダビデがいよいよ王となる時が来ました。それで、出身のユダ部族の後押しで王になると、サウルの将軍アブネルがそれに対抗してサウルの子イシュ・ボシェテを王に擁立したので、2つの政権ができてしまいました。しかし、次第にダビデのほうが優勢になり、アブネルはイシュ・ボシェテを見限り、政権をダビデに渡そうとし、ダビデと話し合いました。国がスムーズに統一に向かった矢先、ダビデの将軍ヨアブがアブネルを、弟を殺された恨みで、暗殺してしまいました。ダビデは、自分が首謀者と見られることを避けるために、アブネルをいたんで、断食し、悼み悲しみ、哀歌を歌いました。本来なら、暗殺したヨアブを厳罰に処すべきですが、彼の力が強くてそれができませんでした。
それにしても、ヨアブのしたことは愚かなことです。まず、暗殺というのは、どんな理由があったとしても、許されないことです。そればかりか、国と国民に多大な不幸をもたらすところでした。当時は内戦によって、神の民が互いに血を流し合っていて、一刻も早く鎮めなければなりませんでしたが、アブネルは利己的な動機とは言え、国の統一を平和裏に実現しようとしていたのです。ヨアブの行動は、それを壊し、国を泥沼の状態にしかねないものでした。もしそうなっていたら、どれほどの血が流されたかわかりません。
ヨアブga
そんなことをしたのは、個人的な恨みからでした。だれでも、自分が傷つけられたり、大切な人が傷つけられたりすれば、傷つけた人を恨むのは当然です。しかし、恨みは、自分が大きな罪を犯す原因になりますし、多くの人を不幸にします。ですから、キリストはマルコの福音書11章25節で言われました。「祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。」私たちは、人を責め、恨んでいるとき、自分が過ちを犯し、神から恨まれてもしかたがないことを忘れています。私たちが恨んでいる人を赦すなら、神はキリストによって私たちの過ちを赦してくださいます。恨んでいる人を赦しましょう。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成