2023年10月5日(木)

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聖書一日一章    サムエル記第二 4章

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アブネルがヘブロンで死んだことを聞いた。(1節)

サウル王の死後、ダビデがユダ部族の後押しで王になると、サウルの将軍アブネルがサウルの子イシュ・ボシェテを王にしたので、2つの政権が対立することになりました。しかし、次第にダビデが優勢になると、アブネルはイシュ・ボシェテを見限り、政権をダビデに渡す交渉を始め、暗殺され、イシュ・ボシェテには何の支えもなくなってしまいました。それをチャンスと見た二人の盗賊が彼の家に忍び込み、暗殺し、その首を褒賞金目当てにダビデに持って行きました。しかし、ダビデは喜ぶどころか、二人を処刑しました。

さて、イシュ・ボシェテは、アブネルに見限られ、盗賊に暗殺されました。それは彼が落ち目だったからです。サウルが健在で、ヨナタンが支えていたときには、王権は安定していて、イシュ・ボシェテも王子として、だれからも尊重されていました。しかし、大黒柱がなくなり、勢力が衰え、落ち目になると、人はみな離れて行き、彼をお金のために利用しようとするやからまで現れたのです。4節には、ヨナタンの子で足の不自由なメフィ・ボシェテのことが出てきますが、彼もこの先、悪口を言われ、見下げられ、いじめられることが目に見えていました。だれでも、落ち目になると、世間は冷たいものです。みな離れて行き、だれも助けてくれず、悪口を言われ、見下げられ、好奇の目で見られ、踏んだり、蹴ったりです。

キリストが最後にエルサレムに入られたときに、群衆が上着を道に敷いて歓迎したのに、キリストが逮捕されると、手のひらを返したように、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだのも、よくわかります。しかし、キリストは落ち目のどん底で復活されました。キリストには落ち目をふっ飛ばす力があるのです。ただ、キリストが復活されても、わずかな人にしかご自分を現されなかったので、世間の目には、弟子たちは、落ち目のままでした。しかし、弟子たちはがぜん元気に宣教し、何千人もの人々が回心し、群れは爆発的に大きくなっていきました。これは、聖霊が注がれ、その働きがあったからです。聖霊には、どんな落ち目のときにも、その流れをまったく変えてしまう力があるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成